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第二次世界大戦の終戦を迎え、昭和21年市内の有志による若者が、敗戦の衝撃を受けた青年の気持ちを一日も早く緩和させるべく地区青年の結集を図り、青年団活動を再開するよう連夜の会合により富士宮市青年団の再出発を決定。若き力で運営できる事業については何でもやってみようではなかろうかと計画。たまたま昭和23年に毎日新聞社による全国観光百選滝の部に全国からの投票により「白糸の滝」が見事入選、全国に富士宮市の名が広められた。
入選を記念して、スポーツの面でも大いに市の名前を売り出そうと、青年団活動の事業として富士宮駅前より白糸滝までの往復駅伝を計画、団員の中に陸上競技に経験豊かな人を選び、その人を中心に準備委員会を設立。
大会を運営するには青年団の名称より陸上競技連盟として、富士宮市に陸上競技連盟が誕生しました。

初代会長には、富士宮市連合青年団団長である故・広瀬章氏を、理事長には陸上のベテランであった、故・渡井新氏を選出、陸連のスタートを切る。
第1回駅伝大会を無事終了させ、今後陸連の事業について検討、会員が審判員の資格を得るには、あらゆる(陸上以外)の大会に参加し審判の勉強に役立てた。

例えば、浅間大社西門より富士山二合目までの往復モトクロス大会(後、朝霧に変更)の審判、第1回富士宮市民水泳大会(民間のプールを利用)の開催協力、この大会には戦前のロスアンゼルス・オリンピック大会に県下より出場した平泳の小池礼三氏、遊佐正憲氏の模範泳法により絶大なる人気を得ました。
その後、富士宮市において第10回全国都市対抗三種競技大会が開催され、陸連の人たちも審判として協力(三種競技とは、卓球・庭球・軟式庭球の3種目、大会の名誉総裁には秩父宮妃殿下、大会会長には当時の東京都知事の東俊郎氏)等、陸上以外にこのようにして審判の勉強をし全員審判の資格を修得、本来の陸上に力を入れる。
 市民区対抗大会、富士宮駅伝大会(この大会の第22回には世界のトップランナーの宗茂氏、猛氏の両氏が出場しました。)東京オリンピックを記念して、市内一周早朝区対抗駅伝大会、当市との夫婦都市である近江八幡市との親善駅伝大会等、数多くの大会に参加、昭和50年は県陸協に登録、名称を富士宮市陸上競技協会として発足する。
陸上競技協会も発足より22年間の長い間、故広瀬章会長のもとで基礎づくりといろいろな分野で活躍するとともに、全市を挙げての市民大会及び白糸駅伝大会が大きな行事ではなかったかと思われます。
昭和46年に入り、故広瀬章会長の勇退に伴い2代目会長として、その年の12月に故渡井新会長の就任となり、新会長のもと陸協の発展の時代が訪れ、幾つかの行事も立案し、実行する段階に入っていったのではないでしょうか。
 現在行われているナイター陸上(前・リレーカーニバル)、市内一周駅伝(現、市民駅伝)、陸上カーニバル、富士宮ロードレース大会などの行事はすべてこの時から始まったものばかりです。
 昭和59年も後半になると富士宮陸協にも一つの転換期が訪れ、この年の11月に石川亨会長の誕生となり、前会長の行事を引き継ぎ行ってまいりました。
 新しいところではロードレース大会を交通事情の関係で朝霧高原マラソンと名称を変更して現在の場所に移されました。
 年号も昭和より新しい平成という時代とともに役員も新しくなり、石川亨氏より会長が鈴木勉氏となりました。
 行事においては、現在継続している(ナイター陸上、市民陸上カーニバル、市民駅伝、朝霧高原マラソン、近江八幡駅伝派遣、富士宮駅伝)大会をもう一度見直し、内容の充実に努めることを目標に実施していきたいと思っています。
 ここ数年富士宮の中学校のレベルの低下が見られる昨今、特に女子の低下が著しく、その一環として近江八幡駅伝大会派遣に昨年より女子のチームを派遣することにより、少しでも陸上競技に対する考えが飛躍に結びつけば幸いと思っています。
 ナイター陸上においても長距離を主体として行われていたのを、小学校の参加を大いに歓迎し、短距離も取り入れ、陸上競技に親しみをもってもらいたいと思います。
 東京オリンピックを記念して制定された「体育の日」を記念して、富士宮では市民駅伝を実施することになり、今年で第29回を迎えることになり、参加チームがここ数年40数チーム(区)に固定しつつ、特に昨年より場所を体育館を起点にし山宮周辺に移して行っています。(今までコースの変更は3回目となります。)来年度は30回とう記念すべき区切りの大会ということになりますので、今まで以上の参加チームを望みたいものです。
 陸上カーニバルは富士宮では唯一の陸上競技選手権大会として伝統を守りながら小学生から中学校、高校、一般の種目を記録に挑戦する大会として続けられている。
 近江八幡駅伝大会も夫婦都市締結を記念して開始され、今回で25回目を過ぎ近年では各区または各チームを募集し、中学生も男子だけだったのを25回を記念して女子を派遣の仲間に加えることになり、毎年3~4チームの派遣となっています。


 富士宮駅伝大会に至っては、40年の歴史を過ぎて44回大会が初めて富士宮では珍しい大雪のため中止という結果に終わったのが残念でなりませんでした。これも天候のもたらすいたずらと受けとめなければなりません。以上が40周年記です。
 引き続き鈴木勉氏を会長として、現在継続している各大会の充実を計ることを目標として、日夜努力しております。
 陸上カーニバル大会においては、開催場所を富士宮北高グランドより富士市陸上競技場に移して記録に挑戦する大会として続けています。
 第52回近江八幡駅伝大会は、夫婦都市締結を記念し初参加されて以来、今年で35回連続で参加し、2市の友好の絆をますます深めているところです。
 今年で40回を迎えた市民駅伝(区対抗)は5年前から体育館周辺よりソフトボール場を起点としたコースに変更し実施しているが、近年は少子高齢化の波で参加チームが減少しています。「継続は思い出作り」という言葉がありますが走、投、跳の基本を思い起こしていただき各区民の皆さんの多大な参加を望んでおります。
 富士宮駅伝大会に至っては、半世紀を過ぎて今年で56回を迎え充実した大会に成長いたしました。歴史と伝統がある富士宮駅伝はコース変更を4回行っています。現在のコースは9年目で全長32.9KM、6区間、参加170チーム(最大43回大会の214)選手1500人であります。地方の駅伝大会としては日本一の駅伝大会だと思われます。この駅伝を富士宮のシンボルにするため100回開催を目標に日夜努力しているところです。


2000年(平成12年)11月23日に実施された第1回静岡県市町村対抗駅伝大会(県庁スタート、草薙陸上競技場ゴール、全長42.195KM、10区間)に監督野村栄樹氏、コーチ梶壽雄氏で参加、今年で連続6回の参加をいたしました。第5回大会では順位、記録とも大幅に短縮し敢闘賞を受賞しました。

  • 2000年 1回 14位2時間30分52秒
  • 2001年 2回 13位2時間25分28秒
  • 2002年 3回 16位2時間28分09秒
  • 2003年 4回 20位2時間29分25秒
  • 2004年 5回 13位2時間23分30秒
  • 2005年 6回 11位2時間22分37秒


 第1回大会の成績を反省し、富士市チームに追つけ、追越せをモットーとして長距離の普及を図る。専門的な技術を指導することにより、競技力の向上を図る。を目的として、2001年4月より梶壽雄氏、鈴木勉氏を中心に富士宮ナイター陸上競技(長距離)教室を開設、毎月5~7回程度(年間70回程)富士宮北高グランドで19時~21時までの2時間練習しています。近年は短距離の参加者が多く、150名程の参加者が練習に励み競技力の向上が図られています。将来が楽しみな教室でありますので陸上競技に興味をもっている人はぜひ参加して下さい。
富士宮市体育協会が創立50周年を迎えられたことを大変光栄に思います。この記念すべき年に当協会鈴木勉会長が岳南朝日新聞社賞の体育部門の功労者表彰を授与され、当協会役員一同感激しております。
これからも富士宮の陸上競技の発展と底辺の拡充に努めていく決意であります。

平成17年度富士宮市陸上競技協会役員名簿
役員名 氏  名
会長 鈴木 勉
副会長 野村栄樹
副会長 渡井新二郎
副会長 梶 壽雄
理事長 森 潔
事務局 竹川寿次