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富士宮スキー協会の発足
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富士宮スキー協会は昭和30年代に当時の富士宮山岳会のメンバーが中心になって、その仲間を長野県のスキー場へ連れて行くようになり、その輪が広がり昭和39年に15名程度のメンバーで富士宮スキークラブとして発足した。
◇ 富士宮スキークラブ結成当時の役員
会 長 野際二郎
副会長 志村 要  山田磐根
理事長 松浦 眞
理 事 吉沢二郎 船橋昌博 望月溜義

その後、昭和42年には静岡県スキー連盟(以下、県連)の登録団体となり、昭和50年には富士宮スキー協会と改称し現在に至っている。

発足当時の活動
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発足当時の大きな活動として、昭和40年から実施している市民スキー大会がある。初めの頃は富士山・太郎坊の御殿場登山道沿いにあった御殿場スキー場の上部で実施され、リフトも無い所で、今のスキーの感覚からすれば半分雪山登山のような大会であったが、多くの参加者を集め、バスを2~3台連ねて大会を行っていた。選手は個人参加が大半で、クラブ対抗のかわりにバス対抗などを行ったり、選手に甘酒などをふるまったりしてスキー大会を楽しんでいた。

また、当時の一番の楽しみは白馬方面へのバススキーツアーであった。当時は自家用車などほとんど無く、富士宮からスキーに行くには、電車か団体バスで、電車の場合は甲府で乗換えて何時間もかけて夜行電車で行くしかなく、仲間で酒を酌み交わしながら行けるバススキーツアーは大変な人気であった。
この頃、スキーは憧れのスポーツとして徐々に人気が出てきた頃であり、地元でのスキーへの関心を更に高めるため市内のスポーツ用品店の協力も得て、毎年シーズン初めには中央公民館などでスキー映画会も実施し、多くの市民と共に楽しんだ。

富士宮スキー協会の発足
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昭和50年になり、それまで県連へは1クラブとしての加盟であったが、市内最大手企業である富士写真フイルムスキークラブが加入申請した時点で、富士宮スキークラブは富士宮地区全体のクラブ連合体として、富士宮スキー協会に名称変更を行い、新体制での再出発となった。富士宮スキー協会発足後は広く各企業のスキー部や一般のスキー愛好家に呼びかけ、名実共に富士宮のスキーの代表団体となっていった。

また、当時は多彩な形でのスキー教室やバスツアーを行っており、どの行事も多くの参加者を集め、一般会員数も百名を越える盛況となっていた。

富士宮スキー協会と名称変更した頃から約20年間は、憧れのスポーツであったスキーが身近なスポーツとなり、スキー人口が爆発的に増加し、平成4年頃の数年間をピークにスキーの大ブームが起こったが、バブル経済の崩壊から少し遅れて、平成8年を最後にスキー人口の大激減が始まり今日に至っている。富士宮スキー協会の歴史も、この波には逆らえず、盛衰を共にしている。

スキー教室、スキーツアーの実施
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スキー協会発足当時の人気スキー教室として日本ランドのナイターを利用したナイタースキー教室が挙げられる。昭和53年から約10年間継続し、仕事や学校が終わった後多くのスキーヤーが集まり、協会の指導員によるレッスンを受け、スキー底辺の拡大に大きな役割を果たした。

その他、当時の人気企画としては、昭和36年のクラブ発足当時より継続してきたバススキーツアーがあり12月28日から31日の年末スキーツアーと、3月の春分の日の前後に実施してきた春スキーツアーを行ってきた。年末スキーツアーは初期の頃は白馬方面に行っていたが、スキー教会発足の頃からは会場を当時雪不足の心配が無かった赤倉温泉に移し、大晦日の夜には家に居る事ができる日程も功を奏して、毎年バス2台でも満員となる大盛況の中で実施された。その後、更に良い雪質と、ゲレンデの豊富なバリエーションを求めて志賀高原の一の瀬スキー場に会場を移して継続してきた。バスツアーでは富士宮スキー協会の公認指導員による丁寧な指導も好評で、多くのスキーヤーに支持されてきたが、スキー人口の激減とモータリゼーションの発達、高速道路の整備等が契機になり、夜行の団体バスツアーの人気がなくなり、約10年ほど前に残念ながら中断となっている。

平成5年 全国中学校スキー大会にて
初の全国大会出場
右より 篠原三和 大鉢次郎

一方、暖かい日差しの中で楽しめる春スキーツアーも人気行事の一つで、級別バッジテストも併設され、結果発表会兼懇親会では悲喜こもごもの歓声が聞こえていた。現在では年末ツアーと同じくバスツアーの形は取れなくなったが、春スキーツアーは今も継続し、最盛期の面影は無いが、レベルアップツアーと銘打って熱心な若い指導員と受講生が集まり、スキーのレベルアップ講習と級別バッジテストを行っている。
バススキーツアー等の大きな行事が衰退する中で、今後の富士宮のスキーを衰退させない策を協会内で協議検討し、子供を対象としたチビッコスキー教室を十数年前より行っている。開催方法には変遷もあったが、今も多くの参加者を得て、イエティスキー場を会場に行っている。チビッコスキー教室では初めは泣きべそをかいている子供も、レッスンの終わり頃には歓声をあげて滑り回る様になっている。今後、富士宮のスキーを再度盛り上げるためにも継続していきたい。
また、最近始めた行事として、温泉スキーツアーを行っている。平湯温泉、野沢温泉、草津温泉等を毎年順番に会場としてスキーツアーを行い、高齢化が進む中での今後のあり方の一つの形として、スキー協会の指導員達と一緒にスキーを楽しむ会として今後も継続して実施していく予定である。

スキー技術の強化
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富士宮スキー協会は現在、全日本スキー連盟公認の正指導員5名、準指導員10名の指導員を中心として29名の理事で構成されている。これら指導員、理事の更なるレベルアップのための全日本スキー連盟の元デモンストレーターを講師に呼び技術研修会を実施し、実力アップを図ってきた。平成に入ってから、静岡県の技術戦では橋本雅弘、満井玄義が上位に入り、平成10年度には女子の部で佐野朝美が優勝を果たし、平成15年には渡辺圭介が6位に入り、共に全日本技術選手権への出場も果たしている。

市民スキー大会、市民スポーツ祭スキー大会の実施
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 市民スキー大会は富士宮スキークラブ時代から続いており、昭和55年に始まった市民スポーツ祭にバトンタッチするまで16回の大会を富士宮スキークラブ及び富士宮スキー協会の主催で実施され、その後今年で27回目となる市民スポーツ祭スキー大会に引き継がれ、40年以上にわたって継続開催されている。始めの約10年は冒頭にも記したように、富士山御殿場口の中腹で行っていたが、その後道路交通網の発達も伴って、長野県の比較的近いスキー場に会場を移し大会を開催してきた。その後、スキーブームの到来と共にスキー場が混雑するようになり、毎年会場の確保に苦労するようになり、車山スキー場、エコーバレースキー場、ブランシュたかやまスキー場、野麦峠スキー場、菅平スキー場と会場も転々とし、一時は参加者が極端に減少し継続が危ぶまれる時期もあったが、山梨県の大泉清里スキー場が開場してからは、ここが市民スポーツ祭スキー大会の開催地として定着し、富士宮から車で約1時間半の近さもあり、毎年多くの参加者を得て、盛大に開催されている。


平成8年 県スポーツ祭スキー大会
ジュニアチーム入賞者達

大泉清里スキー場に会場を移してからは、年齢別のタイムレースの他に、市内のスポーツ用品店やスキー場の協力も得て賞品をかけた三名一組のクラブ対抗戦や区対抗戦も実施され、毎年多くの選手が厳しい競技の中にも和気藹々とした雰囲気で競技会を楽しんでいる。また、参加選手は国民体育大会スキー大会、全国中学校スキー大会などで上位に入る本格的な選手から、プルークボーゲンの選手まで幅広い選手が集まって熱戦を繰り広げているが、各クラスに優秀な選手が分散しており、年齢別クラスの枠をなくした市選手権としての表彰も昨年から行うようになり、市の実力No.1を争っている。
県内の他市ではスキー大会への参加者が激減し、継続できなくなっている所も多くある中、富士宮市民スポーツ祭スキー大会は、今でも毎年60名前後の選手が参加し、今後とも多くの選手の参加を呼びかけ、充実したスキー大会としていきたい。

ジュニアチームの結成とレーシングチームの誕生
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県スキー連盟にジュニアチームが出来た事をきっかけに、昭和60年に富士宮スキー協会でもその未来をかけてジュニアチームを結成した。結成当時は市内の小学生15名をメンバーとし、スキー協会の理事が協力し合い、主に日本ランドでのナイター練習を行い、県スポーツ祭スキー大会やジュニア大会などの大会に出場し、結成当初から上位に入るなど練習の成果を発揮していた。平成3年にはチームの更なる強化を狙って、メンバーの一般公募を始めると共にサポート体制の強化を狙って父母会(後の後援会)を発足させた。その成果が徐々に成績に現れ、平成5年には中学生大会で篠原三和が女子の部で優勝、大鉢次郎が男子の部で3位となり全国中学校スキー大会に出場を果たし、発足時からの大きな目標であった全国大会への出場を果たし、その後の盛隆の先駆けとなった。翌年(平成6年)には県中学生大会で篠原三和が2連覇、大鉢太郎が県高校生大会で優勝し、全国中学とインターハイ(高校総体)スキー大会に県代表で出場している。国民体育大会スキー大会へは平成7年に少年男・女の各部で大鉢太郎と篠原三和が初出場を果たした。その後、全国大会には前記の選手の他に、鈴木聡史、黒松日高、清水響、石井俊介、渡辺一、吉岡あゆむ、佐野由里加、佐野浩喜、大石恭平、若林穂高、渡辺勲、田村真奈、大石奈央、久能健毅らが国体、インターハイ、全国中学等の全国大会にそれぞれ出場している。


平成8年富士宮スキー協会役員
市民スポーツ祭にて


中でも、平成14年の第39回全国中学校スキー大会のスラロームで15位に入り静岡県に初めて第1シード権をもたらし、翌年の静岡県の人数枠+1と15番以内の出走順を獲得した。また、平成17年の国体スキー大会では大鉢太郎が成年男子Bで15番に入り国体でも第1シード権を得て、平成18年の第61回国体スキー競技会での静岡県への得点獲得の期待がかかる。その他、大鉢太郎は東海社会人スキー大会では大回転・回転の2冠や中部日本大会での優勝など東海北陸地区の雪国県のトップ選手とも肩を並べる実力を持つまでになった。
ジュニアチームは当初小学生をメンバーとして活動していたが、選手の年齢の上昇に伴い、平成9年にレーシングチームに名を改めて、大人の選手もメンバーとして受け入れ、活動を継続している。

今後の活動
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平成17年~18年シーズンの富士宮スキー協会の行事としては、1月22日と29日にチビッコスキースクールをイエティで、2月4・5日に市民スポーツ祭をサンメドウズ清里スキー場で、2月25・26日に温泉ツアーin草津を草津温泉スキー場で、3月4・5日にレベルアップツアーを白馬岩岳スキー場でそれぞれ開催する。
富士宮スキー協会としては、市民スポーツ祭スキー大会とレーシングチームを軸にした競技スキー部門と技術戦を軸にしたスキー技術部門、レベルアップツアーとチビッコスキースクールを軸にした教育・普及部門のそれぞれの分野での活動を今後とも活発にし、温泉スキーツアー等、スキーの楽しみの普及も忘れず、昨今のスキー界にとっての冬の時代を乗切り、今後につなげていける活動を行っていくよう考えている。


平成17年第60回国民体育大会スキー大会
大鉢次郎 成年男子B15位 第1シード権獲得

平成18年度 富士宮スキー協会役員名簿
役 員 名
氏  名
会 長
 広瀬 松太郎
副会長
 広瀬 辰造
顧 問
 阿久沢 栄一郎
監 事
 佐藤 友彦
理事長
 吉沢  寛
副理事長
 辰巳 君雄、大鉢 義典
教育部長
 浅井 国雄 副部長 佐野 清晴
指導員部長
 渡辺 圭介 副部長 満井 玄義
競技部長
 大鉢 義典 副部長 吉岡 宣雄
総務部長
 宮川 裕美子 副部長 杉山  拓
理 事
 伊藤  宏、渡辺 和良、佐野 文代、
 塩川 千博、荻原 隆男、小沢 秀敏、
 千頭  望、原田 徳明、渡辺 進一、
 佐野 利治、稲原 朝美、渡井 信明、
 堀切 正美、佐野 知英、深沢 とも子